Apple製品を買うということ。その選択の責任。

TechCrunch Japan『ご用心!―「新MacBook Proは事実上修理不可能」とiFixit』を読んで。

Appleの製品、そして上記記事で紹介されているRetinaディスプレイ搭載新MacBook Proの分解図は美しい。だが、消費主義を追求した「アップデート=買い換え」の悪し​きデザインでもある。そして"物を買う"という行為は、それを売​る会社や関わる企業への"投資"であると言うことを忘れずにいてほしい。彼​らの価値観、即ち今回の場合消費主義の追求、への投資だ。そして彼らのデザ​インが追い求めるものと、彼らのデザインを買う人々には、積極的な消費主義の加速(過剰な消費は環境破壊につながるであろうことは…指摘するまでもない、と言いきれればいいが)、そしてその行為への荷担という結果も付随する。

私はただマカーを目の敵にして批判しているわけではない。ただ、Apple製品の人気(もちろんその人気は製品の品質の高さがあって出てきた現象なのだが)に押されて考えなしに購入するのではなく、購入という行為に伴う結果を認識した上で、結果に対して責任を感じながら行動して欲しいのだ。

前述のTechCrunch Japanの記事がきっかけとなって現在本記事を書いているわけだが、これはApple製品だけの話ではない。あなたが買う牛肉、トイレットペーパー、車、机、全てにおいて言えることだ。

繰り返すが、購入は、それを売り、作る会社が持つ理念への投資だ。それを理解しつつ「自分一人くらいで世界が変わるわけがない」と考えて購入する人も少なくはないのではないか。そして、「自分一人くらいで~」と思う人が多数いれば、世界が悪い方向に変わるのは想像がつくだろう。

そして、この悪しき考え方は、買い物だけに適応されることではない。それは今後日本が原発から離れようとする中で、無原発を実現できるかどうかの国民一人一人の選択にも通ずる。「これくらい電源を入れておいても」、「ちょっと暑いけど自分一人が使っても全体から見たら小さな使用量だろう」。

また、これは投票にも通ずることだ。「自分が投票したって結果が変わるわけ無いだろう」。

結局その考えを持った個人の数が多いことで、そこから生じた「我慢出来れば必要なかった電力消費」が生まれ、原発から逃げられない状況を産む。そしてその同じ概念が宗教団体が暗躍する(そして信者票を集め)、市民、県民、国民の意見の反映度が低い政治形態が築きあげられてきたのではないだろうか。(これは投票をしない人々の選択から来ているものであるから、彼らの選択が反映されているとも言える。だが、そうであれば投票していない者は政治を批判する権利も持ち合わせない。つまり不満はあれど現状は正当化されるわけである。)


世界は不条理、不平等だ。だがそこには確かにあなた自身の考えが反映されている。「自己の優先」と「その結果待つもの」、それをよく熟慮し、天秤にかけ、その結果あなたが選択する答えに責任をもってほしい。

それがApple製品を買うということだ。

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